私の発言

制度派マルクス経済学-宇野理論と進化経済学の統合は可能か

横川信治

 

この発言は、宇野理論から「目的論teleology」と「還元論reductionism」を取り除き、「目的論」に代えてヴェブレンの「進化論」を、「還元論」に代えてホジソンの「非純粋性原理impurity principle」を導入し、資本主義の一般的な基礎理論、中間理論(各資本主義世界システムの基礎理論とその形成、確立、変質の歴史分析)、現状分析で構成される多層的分析の枠組みを制度派マルクス経済学として提案する。

 

マルクスの唯物史観は、人間社会は生産力の増大の結果必然的に社会主義的生産様式に発展するという点で、(ヘーゲルと同様に)歴史がそれに向かって進んでいく単一の目的を想定しているので、目的論的である。宇野の理論にも資本主義社会の次ぎは社会主義であるという目的論が見られる。ヴェブレンはダーウィンの進化論を根拠にマルクスの目的論を批判し、経済発展は経路に依存し、歴史がそれに向かって進んでいく単一の目的というものはないと主張した。

 

『資本論』が目的論に陥った一因は、理論的枠組みと歴史分析が一体化し、すべての資本主義がイギリスと同じ発展過程をたどり、最終的には社会主義に行き着くと予測したからである。宇野は、理論的枠組み(純粋理論)と歴史分析(段階論)を分け、「純粋理論」から目的論を取り除いた。しかし、「段階論」から目的論を取り除くことには成功しなかった。私見では、歴史分析と理論的枠組みの区別は「純粋資本主義」の想定ではなく、古典派の実態還元主義を批判したマルクスの「社会的形態」の理論によってなすべきである。

 

「還元主義reductionism」とは、複雑な現象を1レベルまたは1タイプの理論で全面的に説明可能であるとする考え方である。宇野の三段階論は多層的分析であり、還元主義には陥っていないが、問題は「純粋資本主義」の想定である。ホジソンの「非純粋性原理impurity principle」では、文明的な人間社会ではメインの生産制度のほかに複数の生産制度がサブシステムとして存在し、これら複数の生産制度の補完関係の結果、社会的再生産の継続が可能になる。例えば、資本主義市場経済は、メインシステムの資本主義企業と市場を、家族と国家などのサブシステムが補完することによって成立している。資本主義市場経済だけでは、社会の存続を説明することは不可能であり、ホジソンは、宇野の「純粋資本主義」を「還元主義」の一例として批判する。非純粋性原理が提起する問題は、家族と国家などのサブシステムを「純粋理論」(より一般的には「基礎理論」)の中でどのように取り扱うかという問題である。私見では商品経済の前提条件となる限りではサブシステムをブラック・ボックスに入れないで、基礎理論に取り込む必要がある。

 

基礎理論は、労働力商品の再生産メカニズムの自律性に基づく価値法則(資本主義経済の自律性)を説明する。資本主義経済の自律性は、歴史的には19世紀中葉のイギリス(市場資本主義)だけではなく、1950年代中頃から1970年代初めのいわゆる資本主義の黄金時代(管理資本主義)にも見られる。これらを説明するのが「市場資本主義の基礎理論」「管理資本主義の基礎理論」である。

 

より抽象的なレベルの「資本主義の一般的な基礎理論」を構想することは可能であろうか。サブシステムをブラック・ボックスに入れると、資本主義市場経済の安定性を説明することは不可能であり、この場合には資本主義市場経済に内在する不安定性のみが強調される。不安定性と安定性が並存する資本主義のダイナミズムを明らかにするためには、サブシステムを入れざるを得ず、その場合最初に確立した資本主義世界システムであり、またその後に出現した新しいタイプの資本主義がその制度を模倣した市場資本主義から多くのサブシステムを抽象することになる。