グローバル資本主義の本質についての一試論
柴垣和夫
[1]グローバル資本主義が,1980年代以降の米国主導の新自由主義政策(内では規制緩和と民営化,対外的には国際経済関係とくに資本取引の自由化)の推進と,90年代に開花したIT革命の産物であることは言うまでもないが,その本質については「金融グローバリゼーション」によるカジノ資本主義化に焦点を置いて把握する見解が支配的である。それは宇野原論が資本主義の理念として説いた「資本の商品化」が「企業価値(株価)の最大化の追求」という形で現実化し,さらには不動産や債権債務関係までもが証券化されて,金融コングロマリット(銀行・証券・機関投資家・ヘッジファンドを含む投資ファンドなど)の投機的活動をもたらしている。この点はグローバル資本主義の一面の真実を示すが,多くの論者が,このようなカジノ資本主義が数年ごとに繰り返す通貨危機・株価暴落を含む金融市場不安に,グローバル資本主義の危機の本質を見ていることには同意できない。
[2]なぜなら,繰り返し訪れる金融不安にもかかわらず,それが実体経済にもたらす影響には限界があり,米国ではITバブルが崩壊して生じたリセッションのあと長期にわたる景気の上昇が続いており,日本でも「失われた10年」から脱した2002年以降いわゆる「いざなぎ越え」の景気が持続していることに注目するからである。それは何故なのか?
[3]この実体経済の成長を支えているのが,先進諸国の多国籍企業ないし超国籍企業を主体とした「産業グローバリゼーション」の展開である。それは,米国が推進した資本取引の自由化に呼応する開発途上諸国とくにBRICsの改革開放を通じて,多国籍企業による(企業内国際分業を含んだ)低賃金利用を目的とした生産の海外アウトソーシングの大規模な展開をもたらした。同時にそれは先進諸国に跳ね返って,労働力市場の緩和と労働組合の交渉力の弱体化をもたらした。そしてこの両面があいまって,福祉国家型現代資本主義における資本の桎梏であった労働力の供給制約と賃金上昇を大幅に緩和したのである。この点にグローバル資本主義の他の一面,というより「労働力商品化の無理」を資本主義の基本的矛盾の基礎と把握する宇野理論に即して言えば,グローバル資本主義の本質があるのではないか,というのが私の理解である。
[4]福祉国家型現代資本主義は,「完全雇用」を目標としたケインズ体制の下で,米国に典型的に見られた労資の相互寡占体制下の「賃金と物価の悪循環」がスタグフレーションという形でその矛盾を露呈したが,グローバル資本主義はその矛盾を「解決」するものとして登場した。しかし,BRICsの労働力市場とて無限ではないし,そこと先進諸国の格差社化がもたらす社会的緊張の激化は,やがてグローバル資本主義に限界をもたらし,形を変えた福祉国家(社会主義を部分的に内部化した資本主義)への回帰をもたらすだろう。その手段としての管理通貨制度は,現代資本主義を通底して残されている。