私の発言

原理論と歴史主義

岡部洋實(北海道大学)

 宇野弘蔵自身が紹介しているように、彼の「純粋資本主義」概念はしばしばマックス・ヴェーバーの「理念型」と同一視されたが、これに対して宇野は、純粋資本主義は、17・18世紀以来の資本主義の発展のうちに漸次に近似しつつあったものとして捉えられるのであって、ヴェーバーのいう「実在の一定の要素を思想的高昇によって得た」ものではないと反駁した。だが、17・18世紀以来の現実的発展のいわば極限に「想定される」純粋資本主義をして「理念型でない」との断言に同意するのは、簡単ではないし、むしろ無理があろう。

 けれども、「理念型」概念を提示したヴェーバーの1904年「論文」は、彼が編集を引き受けた雑誌の、多様な論文の掲載という方針の宣言であって、その意味で敢えて相対主義を称揚するとともに、学界政治的色彩の強い文章とみなすのが妥当であろう。また、それだけに常識的ですらあるともいえる。穿った見方にはなるが、宇野のヴェーバー拒否は、宇野がそうした事情を読み取ったことと、原理論を理念型と認めることが自らを相対主義に追い込むことになる懼れの表われだったのかもしれない。

 それはともかく、宇野の純粋資本主義が理念型であるとしても、宇野の適切さは、それを単なる現実認識の道具にしなかったこと、あるいは、現実への直接適用を拒否したことにある。理念型が実在からの抽象であることの自覚は、『経済政策論』序論で、固有名詞を含んだ理念型の採用によって資本主義の歴史的発展段階を規定するとしたことに示されている。現状分析はこの段階論を踏まえるべきであって、この際に原理論が担える役割は、資本主義のいわば定義を与えるに留まる。しかし、原理論は、その限りでは実在の一定の要素の思想的高昇ではあるが、他面では、19世紀半ばの自由主義段階の資本主義の現実とは区別された、諸要素の恣意的選択では担保しえないリアリティを要求する。

 宇野の特徴は、このリアリティを、各国資本主義の共通性の追究するによってではなく、17・18世紀以来の資本主義の発展の極限に想定したことにある。そうすることで、原理論が諸要素の恣意的選択からなる観念的なものへと矮小化するのを避けうるとみたのである。基礎理論の構築において、これは帰納主義でも演繹主義でもない、優れて歴史主義的方法であるが、その科学論的評価はいまだ未知数である。